厳しい指導の上司に見守られながら、自分の成長を確かめながら覚えていった看護の仕事

病院外来 主任

 
私は、子どもの頃から「大人になったら看護師になりたい」と言っていました。おそらく、自分が入院したり、入院中の祖父母を見舞ったり、母の通院に同行したりする中で、看護師を見てそういう風に言うようになったのだと思います。高校を卒業する時も、迷いはなく看護学校に入学しました。学生時代は課題が多く、寝る時間が少なかったという記憶の他、指導者に厳しさを感じていましたが、看護師になってからは、職業人として責任も伴い、学生時代以上に悔しい想いもたくさんしました。しかし、看護師を辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。新人の頃は、上司に厳しく叱責されることはありましたが、理不尽な叱責は一度もなく、私に非があることを納得させられることが多かったです。自身の不甲斐なさに悔しい想いはしましたが、本気で叱ってくれる上司に巡り合い、むしろラッキーだと思っていました。実際に、叱られた後は、しっかり私の行動を観てくれており、できなかったことができるようになると「できるようになったね!」といった感じで声を掛けてくれ、自分の成長を確かめながら看護の仕事を覚えていくことができたと思います。

「患者さんが~したい」と言えば、できる限りその方法を一緒に考えることを大切にしていきたい

若い頃に、体力や筋力の低下が著しい患者さんを担当したことがあります。その患者さんの息子さんが結婚することになり、いつも「結婚式に行けたらいいんだが・・・」と仰っていました。私は結婚式の参加はさすがに難しいだろうと思いましたが、先輩に相談したら、「結婚式に連れて行ってあげようよ」ということになり、医師にも相談したところ、条件付きでしたが承認を得ました。無理させて連れていくのは責任が伴いますし、患者さんもご家族もそうは言うもののとても心が揺れておられました。結果、結婚式にお連れしましたが、私はこの経験から、看護師が頑張れば“できない”と思われていたことも、“できる”ことになるということを学びました。それからの私は、看護をする上で「患者さんが~したい」と言えば、できる限りその方法を一緒に考えることを大切にするようになりました。実際、患者さんの言葉は「できないのはわかっているが・・・」という言葉を含んだ願望かもしれません。しかし、しっかりと想いを聴いてあげて、できる限り同じ目線に立って、自分事として考えるようにしています。信用をしてくれると、ポロポロと自分の話をされるので、ひと通り想いを聴くことを心掛けています。

当院の外来の看護とは何かを原点から考え、メンバーと共に外来の看護を発展させたい

私は、この病院に長らく勤めていますが、ずっとパートで勤務していました。2年前に正職員となり、現在、主任をしています。本来、主任の立場にいますと人材育成もその役割の一つだと思いますが、私はまだ自信がありません。そこで、当院の主任たちが活動している「ナラティ部」というチームに入りました。「ナラティ部」は当院の看護師たちの「看護の物語(ナラティブ)」を院内・院外に共有する活動を通じて、当院の看護の質を向上させていき、地域住民の皆さんに「良質の看護」を提供していくことを目的にしています。私は、当院の看護とは何か、当院の外来の看護とは何かといったことを原点から考えてみたいと思っています。外来はたくさんの患者さんに対応し、病院の顔だと言われるので、もちろんお褒めの言葉もたくさんいただけますが、同様にクレームもよく言われます。そういった日々の仕事の中で、患者さんに何ができるのか、患者さんは何を思っているのかといったこと、それまでの自分たちの経験の中だけで考えるのではなく、まずは当院の様々な部署の看護を学ぶことで、当院の外来の看護とは何かを考えてみたいと思います。そして、そのような観点でメンバーとともに外来の看護を発展させていきたいと思います。