余裕がなく、思い描いていた看護ができない私も、1年が経ち、先輩に認められるようになった

循環器・呼吸器

 
私は子どもの頃、入院したことがあります。泣いていた私に優しく接してくれた看護師さんに憧れを抱いたのがこの仕事を選んだきっかけです。両親が福祉の仕事をしていることや、姉が看護師ということにも影響を受け、祖父母に可愛がられて育った私は、高齢者に関わる仕事がしたいと看護師の道に進むことにしました。看護師になって初めの頃の感想は「忙しい!」という一言です。それは、仕事を手際よくできないので、どうしても時間が掛かり、休む間もなく働いている感じがしたからです。やるべきことをしようとしていても、ナースコールが鳴り、それに対応したり・・・。緊急の処置が入ったり・・・。とにかく、計画通りにいかない、あるいは、計画通りにいかないことを計算していても、手際よく仕事ができていない私は、なかなかうまくはかどらないといった状態でした。先輩たちは私について丁寧に教えて下さるけれど、先輩にも担当の患者さんがいたり、またプライベートがあるので甘えてばかりはいられません。余裕がなく、思い描いていた看護ができていない状態が続きました。しかし、コツコツと頑張ってきたおかげで、いつしか一通りのことができるようになっていました。1年目の終わりには、先輩にそんな風に評価されるようになり、看護師としてやっていけると思えるようになりました。

ご家族との関係を大切にし、医師への提案ができ、「これが看護師なんだ」と思える瞬間を得た

看護師の仕事を通じて喜びを見つけた瞬間があります。それは、2年目になった時に、ある患者さんの入院から退院まで関わった時です。いろいろなことを考え、感じ、『これが看護師なんだ』と思える経験ができました。私の病棟は急性期ではありますが、ターミナルケアが必要な患者さんもいらっしゃいます。この患者さんは、がん患者でターミナルケアが必要でした。ご家族は、この病院で看取りたいという希望をお持ちで、私は、看取るまでどのように関わるかを、医師、ソーシャルワーカー、そしてご家族と情報共有の機会を持ちながら一生懸命に考えました。患者さんは、認知症もあり、訴えがバラバラで対応には少し苦労をしましたが、ご家族は毎日お見舞いに来られ、私たちに対してもとても協力的でした。私は、ご家族との関わりや連携を大切にし、ご家族がターミナルケアを受け入れられているかどうか、また、患者ご本人が今どう思っているのかといったことも情報共有しながら看護を進めました。外出を希望されていたので、看護師が24時間の関わった中で観察し、感じたことをベースに外出が可能なことについて医師に積極的に提案するようにしました。医師やコメディカルとの連携もできてきたと思えるようになってきました。3,4回の外出をし、自宅に帰り、お孫さんとも過ごせて、ご家族からとても感謝されました。このような関わりは、初めてだったので、これが看護師の仕事だと思えるようになり、それからの私は仕事に喜びを見出せるようになったと思います。

患者さんが家族だったらどうするのかを考えながら、知識や技術を習得し早く自立したい

このような経験から、看護師として大切にしていこうと思うようになったことは、あくまでも医療従事者であることは前提ですが、患者さんが自分の家族だったどうするのかということを念頭に置いて看護をするということです。ご家族がいない患者さんもいます。その人にとって良いことは何かを問いながら、どういう風に最期を迎えるのかという問いに真摯に向き合って生きたいです。将来的には、病院の中の看護だけでなく、訪問看護を通じてご自宅における看護についても経験したいという気持ちになりました。さて、これからの私のチャレンジですが、いい経験ができたことに甘んじてはいられません。現実的な課題として、急性期の患者さんに対してもしっかりと看護ができるようにステップアップしたいと思います。特に呼吸器の疾患を持つ患者さんに対しては、先輩にフォローしてもらっていることもまだまだあるので、フォローがない自立した状態を目指して知識や技術の習得に力を注ぎたいと思います。