拒否のある患者さんとの関わり

4階北病棟 松岡 七恵

 コロナ渦で家族の面会禁止の状態もあり、余儀なく入院された患者さんは不安も強く過ごす一年だったかと思う。今回は、認知症で腰痛から体動困難や、看護や内服や食事の拒否もあった患者さんと関わった。しかし、日々の関わりの積み重ねから、私達の看護を受け入れてもらえるまでになったので様子をお伝えする。

 その方は入院が人生で初めてで、夫と長く、介護サービスを導入することも無く、閉鎖的な環境で在宅療養をしてきた。入院当初は、一人で人気もなく寂しさが募ったときはベッドサイドで起き上がり、「何故ここに私は居るのか、ここは何処なのか、家族は自身が入院していることを知っているのに何故来ないのか、今すぐ帰らないと。」「そんな訳の分からないもの(薬は)飲めません。要りません」「いや」「やめて」「なぜ、無理やりそうさせるの?」など拒否的な言葉が続いた。安静を保てず痛みが増す、痛み止めを飲まない事で痛みが増すという悪循環を招き、医療者としては不安や痛みから心身の状況が悪化しないか、私は焦る気持ちが先立っていた。しかし、こんなときこそ、こちら側の焦る気持ちが伝わってしまったり、互いが感情的になると悪循環を生み出してしまうと考え、深呼吸し自分の感情をリセットさせることを意識した。自身の感情マネジメントをすることは、自身のこととなると難しい。自分の課題でもあるなと自覚し、より良い関わりはないか考えて関わった。

 工夫した関わり方は、ときに無理強いせず、安全確保できている事を確認して一旦は退室し時間を5分以上おいて、また話をしてみる。そして、認知症患者さんにはできるだけ、不快であるという印象を残さないように会話の言葉を選んだ。また、もし自分が患者さんの立場なら同じような気持ちになるだろうなと想像を巡らせ、共感もしながら関わった。他には、他の患者さんが、安心して内服する、食事をしている場面を見てもらった。今の状況は何度も聞かなくても、あーそうかと目にした患者さん自身がわかるようにマジックペンで大きめな字でお手紙を書いて、ベッドサイドに貼った。それでも、また聞かれたときはお手紙を一緒に読めるように活用した。意思疎通も通わせることはもちろんだが、今日はどんな様子なのか今知りたいというお気持ちを汲み取りながら、電話越しであるが家族と会話してもらった。

 認知症回診の医師の勧めもあり、片手で抱ける、ぬいぐるみを専用で使用してもらったりした。寂しさが急に強くなり、涙されるときは、一緒に散歩したり、常に誰かがいる環境の、看護室に来て時間を過ごすなど、場所を変えて気分転換を図った。手持ちぶたさがありそうだと感じられれば、軽作業をお願いしてみたりした。

 ある日の、その軽作業の出来上がりは、とても綺麗で、その患者さん本来の、生活力の高さに驚いた。私が出来上がりについて「お見それしました。ありがとうございます」と感謝すると「私は大したことはできませんがね、私でもお役にたてているでしょうか。こういうこと、嫌いじゃないんです」とお元気であったであろう頃を伺えるような返答が帰ってきたりして感動した。患者さんの自分自身の話題を聞かせてもらうことも、初めてであったし、そのような一面があるのだと驚いた。その後は、「忙しそうね。ありがとう」 「あー良かった、気持もよかったよ」 と笑顔も見られるようになった。入院直後は痛みや不安で混乱した気持もでいる患者さんだったが、日々過ごしていくうちに安心感も生まれ、ここは悪いところではないようだ。医療者もよくしてくれる人たちなのだと感じてもらえるようになると内服拒否もなくなり、食事も3食できるようになった。痛みが和らいでいくとともに気持も平穏になっていったようだった。

 拒否のある患者さんには関わる時間やスキル、マンパワーも、一般の方より必要になるが、医療者の行為を受け入れてくれるように少しずつなると、強い喜びも感じることができた。根気も必要であったが報われることができ、互いに心からの笑顔で笑い会える瞬間もあった。厳しい状態が続く一年だったが、患者さんから力をもらえることもあるなと感じ、看護とはそのようなやり取りができるから好きであると改めて感じることができた。そうおもわせてくださったA氏には感謝したいと思った。