自然治癒力を最大限に生かせるように援助していく看護

5階南病棟 高木桜子

 私は患者さんの自然治癒力を最大限に生かせるように、援助していくことが看護として大切にしていることである。オーバーナイトで肺腺癌ステージ3aの喀血を主訴に入院したA患者との関わりで、最期の人生に対する「生きる希望」について語った場面での出来事である。A氏は入院時から、PLT低値であったため、血小板を緊急で投与、また血痰著明、咳嗽あり。ティッシュで血痰を自己排痰していた。夜間も血痰によりほぼ熟眠できておらず1-2時間おきに覚醒しているようだった。しかし、朝方になり血痰が少し落ち着き、A氏のところへ訪室すると、本人が今までの思いを表出したため、ベッドサイドで傾聴することとなった。

 A氏の肺癌と告知されたのは2019年9月。最初は右胸の疼痛で整形外科を受診。しかし整形外科的には、異常は見当たらず、その後も疼痛が持続したため、他院に受診し、そこで初めて癌であることを宣告された。最初は動揺をしたこと、放射線治療と化学療法が始まり、放射線治療は30回程度実施し、先生からは「その調子ですね。」と声をかけてくれたが、どの程度まで限局したのかわからなかった。また化学療法も始まり、何よりも副作用による脱毛や便秘など副作用が心配だったとのこと。治療が進み、気持ちが整理つかず受容することが時々困難だった。本当によくなっているのだろうかと不安に思うようになった。今回の病院への緊急受診は、A氏が病院に行くことを拒絶したが、妻に連れられた。今回の入院が最期かもしれない。特にやりたいことはないけれど、まだこの世にいたい気持ちはある。好きなことはドライブ、旅行と歌謡曲を歌うこと。奥さんに本当に今まで迷惑かけた。だから、退院したら奥さんとドライブとか旅行したい。と思いを表出されたため、看護師からも、希望や気力をもつことは大切ではないかと伝えると理解された様子だった。

 しかし、日中になると、A氏は突然、発汗著明・顔色不良になった。EMコールが鳴り、他スタッフが駆けつけた。急いで気管支鏡をすると血餅が詰まり、窒息していた。急遽、挿管され人工呼吸器に繋がれることとなった。処置が落ち着き、ようやく意識を回復したが、挿管管理となったため、発語できない状態となった。処置や治療が一通り終わり、医師から妻へIC後、A氏の居室でようやく妻と面会することができた。妻は大変動揺し流涙している姿がみられた。本人が朝方訴えたことを、伝える必要があるか、悩んだが、きっと伝えることでA氏と妻と何か架け橋になれるのではないかと思い、他看護師に相談し伝えることとなった。A氏に声をかけると覚醒したため、本人の思いを伝えてもよいかどうか伺うと、突然目を開き、「うん。」と頷いた。A氏が寝ているベッドの前で、私は妻にA氏がもうこれで最期かもしれない、妻に迷惑かけたこと、もし退院したら歌謡曲を聴いたり、一緒に旅行やドライブ行きたいと生きる希望と理由を伝えた。すると、妻は「あら、そんなことを言っていたんですねと、本人は我慢強いところがあって、なかなか本音を言わない。だから、時々心配になっていた。」と涙ながらに応えられた。そして、私は何かできないかと思い、妻に手を握るようなタッチングケアを導入した。

 今回の事例を通して、A氏の思いを傾聴し、妻への感謝や治療に奮闘されながらも生きる希望があること、そしてその思いを妻に伝え、妻へのケアを導入できたことは、当事者だけでなく、家族を含めて看護できたのではないかと考える。また、看護師としてではなく、一人の人間として多く学んだこともあった。それは、「人はどう死ぬかよりもどう生きるか。」ではないかと思う。